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今出川通 |
東山通 |
京都女子学園に近く、登下校時は女の園となり賑やかでかつ華やかな雰囲気を持った停留所周辺でした。市電はバックの智積院の白壁や石垣とよくマッチしていました。緑豊かな京都らしい風情のある交差点の光景は今も変わりません。智積院は真言宗智山派総本山で、書院、方丈の東庭は江戸初期の築造当初の姿がよく残っています。 | |||
昭和53年9月19日撮影 |
初詣、円山公園の花見、音楽堂の土曜コンサート、大晦日のおけら参り等いつも人の絶えることのない停留所周辺でした。日本三大祭の一つ祇園祭は後の八坂神社(京都の人は祇園さんと呼ぶ)の例祭です。写真の西楼門は、大正元年、四条通に市電が走るようになり、解体修理のあと東(後)へ6mほど移動し翼楼がつき現在の姿になりました。 | |||
昭和53年9月26日撮影 |
京都市電の前身、京都電気鉄道竃リ屋町線(七条停車場〜岡崎)は明治28年4月1日、写真の左側、岡崎地区一帯で開催された第四回内国勧業博覧会会場まで開通し、足となると共に呼び物の一つとなりました。会場は閉会後払い下げられ、美術館、図書館、勧業館等が建設され、市民の文化の憩いの場となっています。 | |||
昭和52年9月26日撮影 |
東山の山並みと平安神宮の森をバックに疎水に架かる徳成橋を渡るところです。この付近を聖護院といい、八ツ橋と京野菜のかぶらで有名です。京野菜が堀川ごぼう、壬生菜等地名を冠して呼ばれ名産としてもてはやされるのは、栽培が小規模で丹精こめて育てられたことによります。しかし、都市開発でいまやその名ばかりで、全く関係の無いところで栽培されています。 | |||
昭和53年5月23日撮影 |
北大路通 |
西大路通 |
九条通 |
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